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ごあいさつ

 「さるのかんづめ」というエッセイに出会ったのは、小学生4年生の頃であった。さくらももこ氏のあの独特の、少し斜に構えた目線で語られるヒロシや友蔵の姿に魅了された。さらに小学生当時公文式に通っていた私は、国語の問題文として使用されていた『どくとるマンボウ航海記』を読み、北杜夫氏の一見すると真面目なようで、その実痛快に周りの人間を皮肉る文章に衝撃を受けた。

 かくして小学校時代という言語能力の基盤をなす非常に大切な時期に、前述の二人のような毒舌家のエッセイストの影響をこれでもかというほど受けた私が、のちにひねくれたものの見方をするようになったのは想像に難くない。しかしこの二人が私に授けてくれたものは批判的な視点だけではなく、「エッセイを書いてみたい」という創造的な意欲であった。その意欲は小学校6年時、毎週末の作文課題にて大いに発揮された。当時担任であった鎌野先生から「ヒロはオモシロい日記を書くね~」と褒められ、内心では得意げな気持ちでいっぱいだったものの、恥ずかしがり屋の私はそれを面には出さずただはにかむだけであった。

 時は流れ、私は現在大学4年になる。大学4年といっても、一年間の浪人経験と昨年度の就職活動の不履行により、私が社会人になるのは来年の4月の話である。ストレートで大学に入り、社会人となった高校の同期たちは、私が社会人になるころには2年先輩なのである。そんな経緯でもう一年大学生活を謳歌することになった私の唯一の武器は、大量の「時間」である。世の私と同世代の社会人たちが渇望し、多くの大学生が徒に浪費する「時間」である。

 私学時代、ラクロスにこれでもかというほど熱中し、勉強そっちのけで大学生活のほぼすべてをこのラクロスというマイナースポーツに捧げた。おかげで入学前に掲げていた弁護士という夢は、入学して1か月もたたぬうちにどこかへ消えてしまい、高校の同期からは、「大学生にもなって部活?もっとやることあるでしょー」などと冷たい視線を浴びる羽目になった。

 しかし一度ハマりだすと脇目も振らず目の前のことに集中してしまう私は、そんなことはちっとも気にせずラクロスに打ち込んだ。おかげで100人を超える大所帯の体育会の幹部を務め、所属する関東学生1部リーグではベスト12の選出をあと1票のところで逃すところまで上り詰めた。そして引退を迎え、普通の大学生となって世の中を見てみるとこれがなかなか面白い。平成28年10月の日本社会は、インターネットの普及により世の中は激動しており、コンピューター上に蓄積された多くのデタはビックデータと呼ばれ、それが人工知能の劇的な進化を促し将来的にはロボットが人間の仕事を奪うというではないか!私は年末の帰省時に、この知識を弟に対して我が物顔で披露したところ、「そんなこと、一年前から言われてるヨ」という具合に一蹴されてしまった。

 話が逸れたが、要するに私には時間とエネルギーが有り余っているのである。この時間とエネルギーを余すところなく就職活動に捧げ、潤滑油まみれのスルメ味のスポンジのような模範的就活生になってもよいのだが、それでは面白くないと考えた私はこのエネルギ-を昇華させる何か他の物を探し始めた。すると、私の二つ上の兄は高卒で既に働いているのだが、その兄の会社の同期であり親友であるOさんとたまたま一緒にご飯を食べる機会を得た。Oさんは兄から聞く私たち家族の話が大変お好きなようで、私との食事中もその話で大いに盛り上がった。そういえば、私も大学で何か面白い話をしろと振られた場面は何度もあったのだが、たいてい家族の面白話をしていた。これが実に好評なのである。そこでふと、幼少期の記憶を思い出し、エッセイとして私の家族のエピソードを書き表そうと決意した。

 

これが、私が「イシカワ家の人々」をここに記すことになった経緯である。ラクロス部で一番の親友のS君に「現在はブログというものがあって、本を出版しなくても物書きができるからねえ」と言われたのをヒントに、ブログを媒体として選んだ。

 これから記すものはすべて、私の家族にまつわる、すべて実際にあった話である。特段役に立つものでも、教訓めいたものでもない。ただ私は、懐かしき家族の温かみや、少年時代やふるさとの情景を彷彿とさせるような、それでいてクスッと笑ってしまうような、そんなお話を書いていければそれでよい。少し長い挨拶になってしまったが、肩肘張らずに気楽に読んでいただければ幸いである。

 

 

二〇一七年 一月六日 於アパート自室 ひろ太